鉄道敷設前の交通手段
シベリア鉄道ができる前、シベリア地域での主な移動手段は馬でした。
トムスクとイルクーツクの間では、400万プードの荷を16,000人の御者と80,000の馬で運んでいたという記録があります。
道は1年を通しかなりの悪路だったようで、1890年頃シベリアを越えてサハリンまで旅したチェーホフは著作の『サハリン島』(1893)でシベリアを「春はぬかるみ、夏はひどいデコボコ、冬は波状にうねっていた」と表現したほどです。
現代の効率的な輸送とは程遠い状況です。
プード(пуд)は昔のロシアの貨幣の重量単位で、約36ポンド(=16.38kg)と同じになります。
シベリア鉄道の敷設開始
1891年、ロシア皇帝アレクサンドル3世の発令によりシベリア鉄道の建設が始まりました。
当初は7000キロメートルだったシベリア鉄道の敷設には、困難な地形・気候条件のもと10年を要しました。岩などの障害物を取り除くため、爆弾なども活用されています。
(その後徐々に延長され、現在の9288キロの線路がすべて完成するまでには更なる時間を費やします。)
また線路の敷設に際し、数多の橋も建設されました。アムール川やオブ川、イェニセイ川に架かる橋などが有名です。
特に1916年に建設されたアムール川を渡る橋は当時ユーラシア大陸でも最長で、全長2.5kmにもなりました。(ハバロフスク橋、アムール鉄橋などと呼ばれます。現在は更に伸長されています。)
シベリア鉄道の完成による成果
1926年になるとソビエトで初めて電気を動力とした鉄道が作られました。(ロシア帝国は1922年にソビエト連邦に変わっています。)
動力を電気に変えたことで何が起こったかと言うと、最大貨物量や労働生産性の向上、運送コストの削減等に成功したのです。特に、気候条件の厳しい地域で安定した輸送運営ができるようになったことは大きな成果でした。
シベリア鉄道の動力も、もちろん電気です。
シベリア鉄道の敷設により効率的な輸送システムが整ったことで、シベリアおよび極東地域の都市は発展し、それまでバラバラだったロシアは単一の経済圏へと変わっていきました。
それに伴い、シベリア鉄道沿線には新興都市が次々と生まれることになります。
鉄道が建設された最初の10年でシベリア地域の人口はほぼ倍になり、沿線にできたノボシビルスク、クラスノヤルスク、イルクーツク、ハバロフスク、ウラジオストク等の都市は産業の中心地となっていきました。
“The History of Railways, XIX Century”. Russian Railways. https://eng.rzd.ru/en/9573, (参照 2020-04-08)
Christian Wolmar, To the edge of the world: the story of the Trans-Siberian Express, the world’s greatest railroad, (PublicAffairs ,2014)